官立新潟師範学校

 明治政府(太政官)は明治5年に学制を公布し、全国に小学校を設置してゆくが、その教員(訓導)の養成が急務となった。官立師範学校は、各府県に設置された教員養成機関に指導的教員を供給することを目的として開設され、修業年限は2年であった。全国を7大学区に分け、官立師範学校を各大学区に1校ずつ全国に7つ開設した。その1つが官立新潟師範学校である。同時に附属小学校も開設された。これが現在の附属新潟小学校である。校舎は学校町(現在の新潟大学歯学部付近)に建築され、2階建ての壮麗なものであったといわれる。
     
1872年(明治5年)官立東京師範学校
1873年(明治6年)官立大阪師範学校、官立宮城師範学校
1874年(明治7年)官立愛知師範学校、官立広島師範学校、官立長崎師範学校、官立新潟師範学校(明治7年2月19日創立)

 官立新潟師範学校は入学定員40人で、他が100人であったのに比し小規模であった。3年後の明治10年に新潟県立に移管され、新潟県師範学校となった。明治23年に官立師範学校時代の校舎が火災で焼失の後、明治26年に「常盤が岡」(現・旭町通2番町)の練兵場に建築された校舎に移転した(図1)。






写真2.1.、2.2. 官立新潟師範学校全景。明治8年12月竣工。(「新潟第一師範七十年史」(昭和18年発行)より採録)。




写真2.3. 本学部に寄贈された官立新潟師範学校第1期入学生 塩野自謙氏(1852−1883年)が筆写したノート。




写真2.4. 新潟県師範学校 校舎。明治23年の火災消失の後、明治26年11月に常磐が岡に竣工。この建物は新潟県第一師範学校へと引き継がれるが、明治41年9月の火災で消失した。(「新潟第一師範七十年史」)




図2.1. 明治13年〜16年頃の新潟町の地図(江口直禎氏提供)。赤で示したのが師範学校(当時は新潟県師範学校)と練兵場(「常盤が岡」、敷地の形態が新潟師範学校の敷地と同じであることに注目してほしい)。青色で示したのは、信濃川及び掘割。英語学校、病院、裁判所、白山神社、町通り一番丁、本町通り一番丁、県庁、スワ社、号砲バ、外国人ハカ等の記載が認められる。)




図2.2. 師範学校沿革(国立大学法人新潟大学2008年概要)



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