五十嵐キャンパスへの統合

 「教育学部における分校はそれぞれのすぐれた歴史的伝統と地域社会の教育文化の発展向上に寄与するという軽視すべからざる存在理由をもっています。しかし、学部の三地区分散という状況は、教育科学の高度な進歩と教員養成の一層の質的充実という社会的要請に必ずしも十分に対応できないうらみがあります。ここに、教育学部の充実発展とよりよい教員養成の実をあげるべく学部統合の気運が盛り上がり、大学紛争等幾多の紆余曲折を経ながらも、遂に昭和51年4月、教育学部を新潟市五十嵐地区に統合するという学部教授会決定を行いました。」(長岡分校30周年記念式典式辞、「長岡分校閉校記念誌」)
 1980年(昭和55年)、五十嵐キャンパスに教育学部D棟(自然人文棟)、講義棟、管理棟が完成し、1981年(昭和56年)に教育学部の統合が実現した。しかし、G棟、H棟の建築工事は進行中で、本校の音楽・美術・技術科、養護教諭特別別科、高田分校の音楽・美術・書道科、の移転が完了したのは翌年のことであった。





写真11.1. 統合時(1981年、昭和56年)の五十嵐キャンパス俯瞰。(新潟大学入学記念アルバム、1982)





写真11.2. 統合時の教育学部講義棟、自然人文棟。(新潟大学入学記念アルバム、1982)





写真11.3. 統合時の五十嵐キャンパス。手前右は教養棟、左が生協第二食堂。上が農学部。(新潟大学入学記念アルバム、1982)





写真11.4. 教育学部校舎竣工・統合移転記念 教職員祝賀会。昭和57年7月8日。





写真11.5. 教官親和会送別会。昭和59年3月。



新潟大学教育学部
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