小さいころから様々なことに興味があり、音楽も趣味の内の一つでした。音楽に携わるお仕事ができたら楽しそうだな、と小学6年生くらいの頃には漠然と思っていました。しっかりと決めたのは中学2年生の頃です。
きっかけは中学時代に出会った私を号泣させた先生との出会いでした。その先生を反面教師とし、自分のような悲しい思いをさせてしまう生徒を減らしたい、自分ならもっとうまくできるんじゃないかと反撥的に思い、教師になると決めました。
しかしそれはただのきっかけであり、大学に入り教育の専門的な学びに励むにつれて、教師という職業にいっそう魅力を感じるようになりました。今となってはその先生を教師という仕事をされている方として尊敬しています。ちなみに、その方とは以前同窓会で再会でき、進路についてじっくり楽しく話をすることができました。
音楽教育専修 4年(令和4年4月現在)
新潟県出身/佐藤さん
中学生のころから、数学は他の教科よりも得意で、友達に教える機会があり、漠然と「教員になりたい」と思っていました。
その気持ちがより強くなったのは、大学一年次の入門教育実習においてです。そこで初めて、生徒ではなく教員の立場になりました。勉強にも部活にも全力で取り組む生徒の姿を見て、生徒の良い所を伸ばし、成長のサポートをしたいと思いました。
教員にとって、生徒に勉強を教えることはもちろん重要ですが、生徒の将来の助けとなる学びや気づきを学校生活の中で伝えていくことも同じくらい重要であると考えています。それができる教員を目指し、日々教育学部で学んでいます。
数学教育専修4年(令和4年4月現在)
新潟県出身/菅さん
私が先生になろうと思ったのは子ども達の成長に携われる教師という職業に魅力を感じたからです。実習やボランティアを行い、実際に子どもたちの成長を実感することを通して、その気持ちはなお一層強くなりました。
学校に行くと子ども達は前向きな姿勢と自由な発想で何事にも挑戦し様々な可能性を秘めているのを感じます。先生方はそうした子ども達の様子をよく見て支援をすることで子ども達の成長につなげています。私はそうした子どもの可能性を引き出し、伸ばせる先生になりたいと思っています。
そのためには、子ども達を支援するための専門教科の深い知識が必要だと考え大学で勉強しています。こうした実際の学校現場を見ることでなりたい教師像が明確になり学生生活での確かな目標を掲げることができました。
理科教育専修4年(令和4年4月現在)
新潟県出身/田中さん
私は、子ども達一人一人がお互いの良さや価値を認め合う事のできるようなクラスを作りたいです。私は教育実習や学習支援ボランティアなどを通じて様々なクラスを見させて頂き、教師が直接褒めることも大切なことだが、それ以上に子ども達同士がお互いの良いところに目を向けて認め合う事が、クラスの主役である子ども達一人一人が自分の魅力を発揮して輝く上で大切だと考えました。
このことを達成するために、私は学校生活の中で多角的な視点から子ども達の姿を捉え、子ども達一人一人の魅力をクラス全員で日常的に共有していきたいと思います。そして、学校生活のあらゆる場面で子ども達が見せてくれる素敵な姿を積極的にクラスで共有することで、子ども達が自然とお互いを認め合うことのできる学級を作っていきたいと考えます。
教育心理学専修4年(令和4年4月現在)
新潟県出身/青木さん
私が教員になりたいと思ったのは中学生の頃でしたが、その時はただ教えることが好きという漠然とした気持ちしかありませんでした。しかし、教育実習を通して実際に生徒児童と関わってみたり、大学での講義を受けたりする中で、教員という職業は子どもの成長に関わることができる、貴重な職業であるということを身を持って学ぶことができました。そこで、「児童生徒の夢を叶える支援ができる教師」「楽しく学習できる環境をつくることができる教師」になりたいと私の理想の教員像が明確になりました。
新潟大学教育学部では1年生から学校現場に行く機会が設けられているため、自分が教師になるイメージをより持ちやすいと思います。教育学部での学びを通して明確になった理想の教師像に向けて、残りの学生生活でより多くのことを学びたいと考えています。
英語教育専修4年(令和4年4月現在)
新潟県出身/田中さん
私は子どもの声を傾聴し、一緒に将来の夢を考えることのできる教師になりたいです。そして、同じ目線で物事を捉え、その子の立場に立ち、未来に夢や希望を持ち続けられるよう導いていきたいです。学校教育は現代でも未だにサービス業という意識が根強く、自信のない新任期では親の目線を気にしてしまうと推測されます。しかし、周囲からの視線よりも子どもの将来を第一に考えられるような関わりをしていきたいです。
また、学校という閉鎖的な空間は「みんなと同じ」ということを強要されてしまう可能性が高いと考えられます。不登校や発達に問題を抱えたような少数派の子どもに対しても、見捨てないという強い愛情と責任を持ち、子どもたちが伸び伸びと将来を切り開いていけるような支援ができる教師になりたいです。
家庭科教育専修4年(令和4年4月現在)
新潟県出身/小柳さん
3年次の教育実習です。入らせていただいた学級に帰りの支度が間に合わないお子さんがいました。期間中、帰りの支度の時間は毎日その子に寄り添い声かけをしました。二週目のある日、いつものようにその子の席へ行くと全ての支度を終えていました。そして「どう、先生?」とにこっと微笑んでくれました。日々、成長・変化する子どもたち、その隣で一緒に喜び合うことのできる学校の先生を本気で目指したいと思いました。
「学校の先生になりたい!」という人をとことんサポートしてくれるところです。私は教育実習以外にも、1年次に「入門教育実習」4年次に「スクールボランティア」として現場で学ぶことができました。また、教採前には小論文や面接対策もしていただきました。そして何より、教員を目指す仲間がたくさんいます。大変なこともあった実習や教採ですが、仲間と励まし合い乗り越えました。今でも連絡を取る素敵な仲間に出会えました。
所属していたサークルの活動です。小学生や大学生を対象にイベントを企画しました。特に思い出に残っているのが「100m!ピタゴラスイッチ大作戦!!」と「世界に一つ、君だけの!コマ撮りムービー!!」です。前者は大勢の参加者と一つの連続した装置を作り、後者は5人の子どもたちと1カ月半かけてオリジナルムービーを作成しました。今思えば、企画立案や司会で培った力が今の仕事にも生かされているように思います。
この職を選んで本当に良かったと思っています。私は今、子ども一人一人の疑問や意欲を大切にした授業を目指しています。授業準備の大変さもありますが、頑張った分だけ子どもは何らかの形で応えてくれます。とてもやりがいがあります。子どもたちは毎日、小さな変化や成長を見せてくれます。時にはトラブルもありますが、そこは教師が支える場面です。日々、成長する子どもたち、その隣で一緒に成長できる仕事です。
試験対策で3年生の1月頃からゼミ室に籠る生活が始まりました。大変さもありましたが、同じ学科の仲間と集まって問題を出し合ったり、一緒に学食にご飯を食べに行ったり、休憩としてUNOをしたり…今思うと、楽しかったという気持ちが勝ります。合格発表をみんなで喜び合った情景を今でも鮮明に覚えています。本当に仲間と一緒に乗りこえた教員採用試験でした。
受験勉強は順調ですか?大変なこともあるかと思いますが、最後まで諦めずに頑張ってください。楽しいキャンパスライフが待っています。勉学に励んだり、部活・サークルに打ち込んだり、アルバイトをしてみたり…色々な経験を積むことができます。もし4年間を通して「学校の先生になりたい」という気持ちが変わらなかったら、是非教員を志望してください。皆さんと一緒に子どもたちのために仕事ができる日を楽しみにしています。
小学校教諭 平石先生
新潟大学教育学部小学校教員養成課程教育心理学科を卒業(平成12年3月)しました。小学校や特別支援学校の教諭として勤務した後、新潟大学大学院教育学研究科修士課程に入学しました。大学院修了(平成22年3月)後には、新潟大学附属特別支援学校の教諭として8年間勤務しました。その後、新潟大学大学院教育実践学研究科(教職大学院)の准教授として3年間勤務し、現在に至ります。
新潟大学には、学部学生、大学院生、附属学校教員、大学教員の四つの立場で16年間籍を置いています。新潟大学において、①大学生として・大学生に授業する教員として②教育実習生として・教育実習を受け入れる附属教員として③大学院生として・大学院生に授業する教員として、それぞれを両側から経験しているのは、なかなかのレアキャラだと思います。
スバリ「海」です。海なし県の埼玉県出身なので、海が近い大学に憧れがありました。センター試験の結果を踏まえていろいろな大学の赤本を見ていたとき、マップの半分が海で埋め尽くされていた新潟大学の地図を見た瞬間、「ここだ!」と決めました。
実際、豊かな自然(海、山、川)に恵まれており、アウトドア派の自分には最適でした。大学に入学してから現在まで、夏はキャンプやサーフィン、ウェイクボード、冬はスキーやスノーボードなど、新潟を満喫しています。
中学時代の友達との関わりです。勉強でわからないことがあると私に聞いてくれる友達がいました。私が教えた時に「わかった」「なるほど」と言ってくれた友達の顔と、自分の嬉しい気持ちは今でもはっきりと覚えています。小学校の時から先生という職業への興味はありましたが、このころには、先生という職業が憧れになっていました。そして、学部学生の頃のボランティアや教育実習でその思いを確かにしました。
一つは複数の教員免許状を取得できることです。小学校教諭の免許状を目当てに入学した自分でしたが、幼稚園、そして特別支援学校の免許も取得できました。特別支援学校教諭免許状については、「特別支援の免許があると採用試験受かりやすいらしいよ」という噂(実際はどうかわかりませんが)を聞き、だったら…と不純な動機で取り始めたのですが、特別支援学校での教育実習で後の人生が変わりました。詳細は後ほど…。
もう一つは総合大学であることです。新潟大学は教育学部だけでなく、さまざまな人との関わりがあります。サークルなどでは必然的に他学部の学生との関わりもあり、いろいろな価値観に触れることができます。教育学部以外の友達との関わりは、自分の考え、世界観を広げる意味でも大事だと思います。実際、私の奥さんは新潟大学の法学部出身です(笑)。
地域に根ざした大学であることです。新潟大学は、地域の学校や企業等とたくさんのネットワークがあります。そのため、学校支援ボランティアで学校に出入りしたり、地域の企業の方々と共同で実施するプロジェクトに参加したりするような機会がたくさんあります。私は他大学での勤務経験がないので比較して述べることはできませんが、このような特徴は、地方の国立大学ならではなのではないかと思います。
私が受験した時は倍率が一番高い時で、私が受験した新潟県は20倍でした。幸運なことに合格できたのは、採用試験の勉強ではなく、学部時代の経験によるところが大きいと思います。教育実習やボランティアでさまざまな子供たちや先生たちと出会い、多様な価値観に触れ、自分自身の経験値を高めたことで、自身の教育観や教師としてのビジョンをもつことができました。このことが教員採用試験の論文や面接などに生きたのだと思います。
子どもたちの未来をつくる仕事だと思います。授業や学校での教育活動はもちろん、言動の一つ一つが子どもたちに影響を与えます。それだけ責任重大な職業ですが、自分の取組が未来につながっていると考えるとやりがいは果てしなく大きいと思います。また、色々な人と関わり、協力しながらする仕事なので、時にはぶつかったりすることもあるけれど、その分達成した時には、喜びも共有することができ、得られる充実感も半端ないです。
初めての一人暮らし、色々なアルバイト、サークル活動、ボランティア活動、大学の授業、ゼミ…振り返ると全てが貴重で素敵な思い出です。中でも一番の思い出を挙げるとすれば、特別支援学校での教育実習(大学の魅力のところでも書いた内容)です。
教育実習の初日、教室には、一人の男の子が床に座っていました。話しかけても反応がなく、どうして良いかわからなかった私は立ち尽くしてしまいました。それまで障害のある子どもと関わる経験もなく、大学の特別支援教育の授業もなんとなく受講していた私にはどうすることもできなかったのです。この時の「何をしたら良いのか」「どうしたら良いのか」「そもそも、この子たちに必要な教育ってどのようなものなんだろう」という問いが生まれました。教育実習をきっかけに、大学の講義を今まで以上に真剣に受けるようになりました。
教育実習で生まれた問いに対する絶対解はありません。時代が、社会が変わり続けていくからです。学生としてこれから出会う子どもたちに対して、教諭として目の前の子どもたちに対して、附属教員として実習生に対して、大学教員として学生に対して、教頭として教諭に対して…今日までより良い答えを求めて実践し続けています。その答えの先には、子どもの未来があります。これこそが教師の魅力であり、楽しさですね。
この文を読んでくれた皆さんが新潟大学に、そして学校の先生に興味を持ってくれたら嬉しいです。その先に子どもの未来があるから。
特別支援学校 教頭 横堀先生