日本産コウホネ属の形態変異と遺伝的変異

神戸大学自然科学研究科  志賀 隆

【はじめに】

 コウホネ属Nuphar(スイレン科Nymphaeaceae)は北半球の主に温帯の淡水域に生育する抽水〜浮葉性の多年生水生植物である.コウホネ属は形態的な可塑性が大きいことから,分類群の認識が困難であるものが多い水生植物においても特に分類学的な再検討が必要とされている属のひとつである.

日本においてコウホネ属は24種生育するとされており,その中でもヒメコウホネNuphar subintegerrimaは東海地方に生育する狭義の小型のものと,西日本に生育する中型の2型の存在が指摘されている.この西日本に産するヒメコウホネの広い形態変異の幅については,小型のコウホネ属植物と大型のコウホネ属植物との交雑の結果と考えることもできる.そこで本研究ではヒメコウホネと大型の近縁種であるコウホネN. japonica,そして分布域が両種と重なる小型の近縁種であるオグラコウホネN. pumila subsp. oguraensisも加えて,形態学的ならびに遺伝学的な解析を行うことによりヒメコウホネを中心とした日本産コウホネ属の多様な形態変異の実態とその遺伝的背景を明らかにする.

【方法】

1.形態形質による分類群の識別可能性を明らかにするために,全国62集団より採集したコウホネ属植物について27の形態形質を測定し,クラスター分析を行った.

2.形態形質より得られたグルーピングが遺伝的にも支持されるか明らかにするために,全国62集団より1142サンプルを採集し,酵素多型分析を行った.6酵素(LAPMDHPGIPGMPMITPI),12遺伝子座において活性が得られ,多型がみられた11遺伝子座から多座遺伝子型を決定した.また多座遺伝子型間の共有対立遺伝子距離(Chakraborty and Jin, 1993)から樹形図を作成した.

3.日本産コウホネ属の系統関係を明らかにするためにコウホネ,オグラコウホネ,ヒメコウホネ,そしてこれらの中間形の他にネムロコウホネN. pumila subsp. pumila,オゼコウホネN. pumila var. ozeensis,タイワンコウホネN. simadai,セイヨウコウホネN. luteaを加えて葉緑体DNA9つのイントロンもしくは遺伝子間領域の塩基配列約4400bpを決定した.

4.コウホネ,オグラコウホネ,ヒメコウホネ間の交雑に方向性があるかを明らかにするために,全国73集団について葉緑体DNAtrnLイントロン部分の配列よりハプロタイプを決定し,交雑帯における遺伝子移入の方向を推定した.

5.各分類群間,中間形において遺伝的生殖隔離機構の有無を明らかにするために交配実験を行った.また結実した種子は嫌気条件下で冷暗処理5週間以上の休眠解除を行った後,嫌気条件下で25℃,明期16時間,暗期8時間の発芽実験を行った.

【結果・考察】

形態形質の解析ではクラスター分析により大きく5つのクラスターグループを得た.そのうち3つのクラスターグループは複数の形質で特徴付けられ,それぞれがコウホネ,オグラコウホネ,ヒメコウホネの従来の記載とほぼ対応していた.それ以外の2つのクラスターグループは特徴的な形質を持たず,中間形を示した.酵素多型解析ではコウホネ,オグラコウホネ,ヒメコウホネの形態を示す集団の多座遺伝子型をもとに得られた樹形図は,形態形質によるクラスターと対応関係を示した.このことからこれら3群は形態的,遺伝的に認識することが可能な分類群であることが明らかになった.

 中間形を示したクラスターグループは酵素多型分析によって得られたオグラコウホネやヒメコウホネの種特異的マーカーを持ち,中間形に特異的な対立遺伝子は持っていなかった.また葉緑体DNAの塩基配列から作成した系統樹ではコウホネ,オグラコウホネ,ヒメコウホネに対応する3つの系統内に中間形が散在することから,中間形は交雑由来であることが明らかになった(図1).ヒメコウホネのクレードを形成するハプロタイプには他の分類群や中間形のみにみられるものも存在しており,過去に浸透性交雑が生じた結果,現存するヒメコウホネ集団が失ってしまった葉緑体DNAの変異が他の分類群内に遺存していることが明らかになった(図1).

西日本に分布するコウホネ属植物の葉緑体ハプロタイプは,外部形態に関係なくヒメコウホネ型が大多数をしめていた(図2).中間形が分布しはじめる新潟県以西を交雑帯としてハプロタイプの頻度をまとめると,ヒメコウホネからコウホネとオグラコウホネに対して遺伝子浸透が生じており,オグラコウホネから他種への遺伝子浸透ははほとんど生じていないことが明らかになった(図3).これらの事より,過去にヒメコウホネは西日本一帯に広がっていたが,浸透性交雑の結果,西日本では形態的に識別できる集団が失われたことが示唆された.

 交配実験により得られた種子の発芽率からは,オグラコウホネは花粉親になった場合に比べると種子親としての機能が低いことが明らかになり,図2,図3の結果を支持した(表1).

 以上よりコウホネ,オグラコウホネ,ヒメコウホネを親種とした方向性のある交雑が西日本で広く生じており,その結果日本産コウホネ属の形態変異が連続的なものになったと結論した.

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