コウホネ属(スイレン科)の分類学的再検討および種間交雑に関する研究(学位請求論文摘要)

志賀 隆(神戸大学自然科学研究科)

 水生植物は水域に適応した特殊な植物群である.その形態ならびに生態的特徴は顕著な可塑性を示すことから同定に困難を極め,種の認識については再検討を要する分類群が少なくない.また,水生植物において種間交雑が生じている場合は観察される顕著な形態可塑性が分類群独自の環境変化に対する可塑的応答であるのか,雑種化に基づくものであるのか判断が非常に難しく,分類群の認識を混乱させる一要因と考えられている.

 コウホネ属Nuphar(スイレン科)は抽水〜沈水性の多年生の水生植物であるが,形態的な可塑性が大きいことや種間の形態的中間形の存在が指摘され,水生植物の中でも分類学的な再検討が必要とされている属の一つである.また,染色体数もこれまで報告されている自然雑種を含めて全て2n=34である.コウホネ属は属内で多くの自然雑種が報告されており,複雑な同質倍数性の雑種形成が分類群の境界を不明瞭にしている可能性がある.

 そこで本研究では日本および周辺地域のコウホネ属を対象に,分布域全体を網羅して形態形質,分子マーカーや花粉稔性の調査,交配実験などを行うことにより,コウホネ属の多様な形態変異の実態とその遺伝的背景,種間交雑の影響を明らかし,分類学的再検討を行うことを目的とした.

 2章では中部から西日本のコウホネ属植物の形態的、遺伝的関係を明らかにする事を目的に,北海道を除く日本全域よりコウホネ属植物を採集し,形態形質27形質(62集団856個体)と酵素多型分析(62集団1142個体)の調査および交配実験を行った.形態形質を用いたクラスター分析では大きく5つにグルーピングができ,そのうち3つがコウホネ,ヒメコウホネ(狭義),オグラコウホネの従来の記載と対応した.それ以外の2つのグループはそれぞれコウホネとヒメコウホネ,コウホネとオグラコウホネの中間的形質を示した.この結果から,これまで分類群の実態が不明であったヒメコウホネ(広義)はヒメコウホネ(狭義)と推定雑種に区別できることが明らかになった.

 中間形を示したグループは酵素多型分析によって得られたヒメコウホネやオグラコウホネの種特異的マーカー(分類群に特異的な対立遺伝子)を持ち,各遺伝子座の対立遺伝子頻度は推定両親種の中間の値を示した.これに加え,一部の集団では3種間の中間的特徴を示し,中間形集団は2種間および3種間の複雑な交雑に起源している可能性が明らかになった.交配実験では3種間のどの組み合わせでも高い結実率を示し,3種間で交雑が容易に起こることが明らかになった.しかし,オグラコウホネを種子親にした種子は,花粉親にした種子比べると著しく発芽率が低下したことから,雑種形成に方向性があることが示唆された.

 3章では北海道におけるコウホネとネムロコウホネの雑種形成について調査を行った.北海道全域よりコウホネ属植物を採集し(23集団328個体),形態形質18形質,酵素多型分析と花粉稔性の調査を行った.まず,形態形質から大きく3つのグループを得ることができ,そのうち2つがコウホネとネムロコウホネの従来の記載と一致した.残りのグループは特徴的な形質を持たず,中間形を示した.酵素多型分析では得られた種特異的マーカーをヘテロ遺伝子型で持つ個体は中間的な形態形質を示した.花粉稔性では中間形は個体間に大きな変異が見られたが,コウホネやネムロコウホネに比べて低い値を示した.以上の結果より,コウホネとネムロコウホネで種間交雑が生じていると結論した.

 次に交雑の方向性を調べるためにAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)分析,葉緑体遺伝子trnLイントロン領域の塩基配列の調査を行った.AFLP分析では雑種第1代と予測される個体はほとんど無く,多くはネムロコウホネの種特異的マーカーを失っていた.また推定雑種集団はほとんどがコウホネ特異的な葉緑体ハプロタイプを持っていた.これらのことから,コウホネ♀×ネムロコウホネ♂の組み合わせで雑種形成が起こり,その後もコウホネとの戻し交雑もしくは雑種個体同士での交配を繰り返してきたことが明らかになった.更にコウホネに対してネムロコウホネの遺伝子が取り込まれていることも明らかになった.また,両親種のマーカーを多く保有している個体ほど花粉稔性が低かったことから,雑種形成初期は稔性が低下するが,その後の雑種後代を形成する過程で稔性回復が生じていると考えられる.

 雑種集団の形態と花粉稔性の関係は雑種集団によってそれぞれ異なっていた.人工的な撹乱が生じるため池などでは,戻し交雑をしているにも関わらず,形態形質は中間形のままで花粉稔性が完全に回復している個体もみられ,雑種種分化が起こっている可能性が明らかになった.

 4章では中部日本におけるコウホネと本研究で新種として記載したシモツケコウホネ(6章)との間の雑種形成を取り扱った.中部から東北にかけてコウホネとシモツケコウホネと考えられる集団を含めてサンプリングを行い(9集団86個体),形態形質10形質,酵素多型分析と花粉稔性の調査を行った.形態形質に基づくクラスター分析では3つの大きなグループが得られ,そのうち2つがコウホネとシモツケコウホネに対応した.残りのグループは特徴的な形質を持たず,2種の中間的な形質を示した.また,酵素多型分析では種特異的マーカーを2遺伝子座で得ることができ,ヘテロ遺伝子型の個体は中間的な形態形質を示した.また,花粉稔性では中間形はコウホネやシモツケコウホネに比べて低い値を示した.以上の結果より,コウホネとネムロコウホネで種間交雑が生じていると結論した.

 5章ではコウホネ属の種間および種内の系統関係と各種の遺伝的多様性を明らかにするために,交雑起源と考えられる集団を除くコウホネ属植物についてAFLP分析(5種103個体),酵素多型分析(5種791個体),葉緑体trnLイントロン領域(コウホネについて30集団)の調査を行った.AFLP分析の多型より得られた系統樹では日本近隣地域のコウホネ属はコウホネ,ヒメコウホネ,ネムロコウホネ,オグラコウホネ,シモツケコウホネの5つの単系統群を作り,近年主張されてきた系統関係(Padgett et al., 1999, 2002)より明瞭な結果が得られた.また,これまで重要視されてきた花や果実などの器官の赤色化するという形質は各系統において独立に派生してきた形質であることが明らかになり,この形質によってまとめられてきた種内分類群は多系統群であることが示された.

 種内の系統群に関しては,コウホネとヒメコウホネにおいて種内系統群に地理的なまとまりが認められた.コウホネでは東日本系統と西日本系統の2系統が識別され,得られた樹形からコウホネは近畿地方の祖先集団から東西2方向へ分布拡大を行った可能性が明らかになった.これらの2系統群は形態的にも異なることから異所的種分化が進んでいることが示唆された.また,コウホネの東日本系統は西日本系統と比較して遺伝的多様性が低かった.分布域が異なる近縁種であるネムロコウホネ(東北以北)とオグラコウホネ(西日本以西)においても北方種であるネムロコウホネは遺伝的多様性が著しく低く,コウホネの種内系統と同様の結果が得られた.これらのことから分類群に関わらず,コウホネ属では東〜北日本集団は著しいボトルネックを経験したことが考えられた.

 6章では2章から5章の結果に基づき,日本近隣地域のコウホネ属を6種4品種3雑種に整理した(うち,新記載が2種2雑種,新組み合わせが2品種1雑種).

Nuphar japonica DC. [コウホネ]
  N. japonica DC. f. rubrotincta (Casp.) Kitam. [ベニコウホネ]
N. pumila (Timm) DC. [ネムロコウホネ]
  N. pumila (Timm) DC. f. ozeensis (Miki) Shiga & Kadono, comb. nov. [オゼコウホネ]
  N. pumila (Timm) DC. f. rubro-ovaria Koji Ito ex Hideki Takah., M. Yamaz. & J. Sasaki [ウリュウコウホネ]
N. saikokuensis Shiga & Kadono, sp. nov. [サイコクコウホネ]
N. shimadae Hayata [タイワンコウホネ・ベニオグラコウホネ]
  N. shimadae Hayata f. oguraensis (Miki) Shiga & Kadono, comb. nov. [オグラコウホネ]
N. subintegerrima (Casp.) Makino [ヒメコウホネ]
N. submersa Shiga & Kadono, sp. nov. [シモツケコウホネ]
N. xfluminalis Shiga & Kadono, hybr. nov. [ナガレコウホネ]
N. xhokkaiensis Shiga & Kadono, hybr. nov. [ホッカイコウホネ]
N. xsaijoensis (Shimoda) Shiga & Kadono, comb. nov. [サイジョウコウホネ]

中部から西日本に分布するコウホネとヒメコウホネ,およびオグラコウホネとの交雑起源と考えられる集団は,分布域が広く,花粉稔性も回復していることから,新種サイコクヒメコウホネとして記載を行った.コウホネ属は旧世界ではN. luteaとネムロコウホネの2種のみが広く分布していることから,日本においてコウホネ属の種分化が進んだ可能性がある.

 コウホネ属では種間に雑種の稔性低下といった弱い生殖隔離機構が存在するものの,雑種後代を作ることが可能であることから,種間の隔離機構としてまず地理的隔離が,続いて生態的隔離が重要であると考えられる.本研究において,日本では地理的隔離などにより分化した分類群が二次的に接触し,浸透性交雑を経験してきたことが明らかになった.その結果として多様な形態を示す雑種個体群が生じ,分類学的取り扱いが混乱してきたと考えられる.今回,西日本や北海道の交雑帯では完全に稔性が回復した交雑由来の個体も確認されたことから,雑種形成を経て生まれた個体群は今後新たな生育地へと適応を果たし,雑種種分化が進んでいることが示された.

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